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『ルイス・フロイス 戦国記ジャパゥン』の登場人物一覧

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戦国時代が大好きな和歌山ブロガー、きゃろたまです。

今日は、2018年1月25日に出版された歴史小説『ルイス・フロイス 戦国記ジャパゥン』を紹介します。

この小説は、キリスト教イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが、日本での布教の様子を詳細に記した『日本史』が題材になっています。

戦国マニアのきゃろたまにとっては、とても楽しく読めたのですが、肥前(長崎県・佐賀県)の戦国史と、登場人物について下調べしておくと、より楽しんでもらえるのではないかと思い、登場人物一覧をつくってみました。

 

ルイス・フロイス『日本史』とは?

ルイス・フロイスは非常に筆まめな人で、日本での生活や戦国時代の日本人の風習をくわしく書き残し、史料的にも非常に価値が高い記録です。

1549年から1593年まで膨大な記録を残していながら、あまりに膨大さゆえに編集を加えて本国へ送るように指示されるも、フロイスは原本にこだわります。

その後悲しいことに、フロイスの書いた『日本史』の存在が忘れ去られてしまい放置されます。1742年にようやく写本が本国のポルトガルに送られますが、この写本も長い年月のうちに散逸してしまい、現在残るのは全3巻のうち2巻と3巻のみ。

原本も消失したといわれています。

日本では、写本をもとに松田毅一氏と山崎桃太氏によって完訳され、出版されています。

『ルイス・フロイス 戦国記ジャパゥン』は、エンターテインメント作家の清涼院流水(せいりょういんりゅうすい)氏が、丁寧に原典をたどりながら、約9年かけて書きあげた大作です。

 

『ルイス・フロイス 戦国記ジャパゥン』登場人物

ルイス・フロイス

この小説の主人公であり『日本史』を書いた人物。
1532年リスボンで生まれ、1548年イエズス会に入信。
のちにインドのゴアへ赴任し、フランシスコ・ザビエル(フランシスコ・シャヴィエール)と日本人キリスト教信者・ヤジローに出会う。
1563年7月6日(旧暦6月16日)に横瀬浦(長崎県西海市西海町)に上陸し、日本での布教活動をはじめる。

ジョアゥン・バプティスタ・デ・モンテ

フロイスの4歳年上のイタリア人神父で、フロイスとともに来日する。
豊後府内(大分県大分市)にいたアルメイダの迎えに応じ、横瀬浦をあとにする。

トルレス神父(コスメ・デ・トーレス)

1510年生まれ。
1549年にザビエルとともに鹿児島に上陸。ザビエルが去った日本で布教長として活動。
最初は平戸(佐賀県平戸市)の領主松浦氏の庇護を受けていたが、1561年に平戸でポルトガル人商人と日本人商人の間でいざこざが起こると、1562年に横瀬浦に移り住む。杖をつき、片脚をひきずる。

ジョアゥン・フェルナンデス・デ・オヴィエド

スペインコルトバ出身の修道士。
ザビエルやトルレスとともに、1549年来日。
長年の布教がたたってか体調を崩しがちである。

ガスパル・ヴィレラ・デ・アヴィシュ

1555年に来日。
のちにトーレスの指示により、1559年京都に入り、将軍足利義輝と面会。
都での布教活動をおこなう。
フロイスより7歳年上。

フランシスコ・ザビエル(フランシスコ・シャヴィエール)

1549年に鹿児島に上陸。キリスト教を日本にもたらした人として教科書にも登場する。
1551年、日本を離れ、1552年12月2日、南中国のサンショアン島にて熱病により亡くなる。

パウル・デ・サンタフェ

日本名ヤジローとして知られている。
薩摩・大隅出身と伝わる。
1546年、薩摩山川を訪れていたポルトガル船に乗り、ゴアに至り、1549年にザビエルに同行する。ザビエルが日本を離れたあとの消息は不明。

ルイス・デ・アルメイダ

1552年に来日。商人であり、医師であったが、山口でトルレス神父に出会い、1556年にイエズス会に入会し修道士として活動。豊後府内で、乳児院と病院をひらく。

アイレス・サンシェス

豊後府内で活動していたポルトガル出身の修道士。
1561年にイエズス会に入る。

ベルショール・デ・フィゲイレド

インド生まれ。神父。1564年来日。1580年府内コレジヨ初代院長となる。

ジョアン・カブラル

1570年に来日。日本で推し進めていた布教のやり方が気に入らず、1579年に来日したヴァリニャーノと対立。1581年に伝道師の役を解任させられる。

バルサダール・ダ・コスタ

神父。ポルトガル人。詳細不明。

ドン・ペードゥル

フロイスたちが乗ってきた大型帆船「聖十字号(サンタクルス号)」の船長。

 

 

朝長純安(朝長新助 ともながすみやす)

横瀬浦の領主で大村純忠に仕える。
洗礼名ドン・ルイス
1563年、後藤貴明らの襲撃を受けて殺される。

大村純忠

天文2年(1533年)、肥前国の戦国大名・有馬晴純の次男として誕生。
天文7年に、母の実家大村氏の養子となる。
洗礼名ドン・バルトロメウ。
領内住民に対して、強引にキリスト教への改宗を迫ったため、しばしば反発を招いたといわれている。

今道純近

大村氏の家臣で今道氏は大村氏の一族。
洗礼名ダミアウン。

後藤貴明

大村純前の実子。武雄(佐賀県武雄市)を本拠地とする。
このころ大村氏は、有馬晴純の支配下にあり、有馬晴純の次男・純忠が大村家に養子となり跡を継いだため、後藤家に養子に出される。このため純忠のことをよく思わず、1563年大村純忠・朝長新助らを襲撃する。

島原純茂

島原氏は有馬氏の一族。

ドン・ジアゥン

島原氏の家臣。

有馬晴純(仙厳)

大村純忠の父で、日野江城(長崎県南島原市)に本拠を構える。
キリスト教を嫌い、大村純忠が後藤貴明に攻められたのちにキリスト教に迫害を加える。

籠手田安経

洗礼名・ドン・アントニウ
松浦隆信の家臣で度島(長崎県平戸市)の領主。

ドナ・イザベル

籠手田安経の妻。

松浦隆信

平戸を中心に支配下に置く戦国大名。
隆信自身は曹洞宗の熱心な信者であったため、キリスト教の布教をあまり快く思わなかった。
『日本史』では、肥州(ヒシュウ)という名で見られる。

安満岳

山岳信仰の山として知られ、中核寺院・西禅寺はキリスト教に対抗する。
1558年松浦隆信にはたらきかけ、キリスト教を弾圧するが、1564年に平戸の大火を巻き起こしたことで、逆に僧侶らが追放される。

大友宗麟(オオトモソウリン)

豊後丹生島城(大分県臼杵市)を本拠とし、1560年頃には現在の大分県・福岡県・熊本県を治める戦国大名に成長する。
キリスト教を保護する一方で、八幡奈多宮の娘であった継室の奈多夫人は、キリスト教を嫌い、宗麟とは不仲であった。

カトク・ジョアン

博多出身の日本人キリシタン。

賀茂在昌

陰陽師(暦道)の一家・賀茂家に生まれる。
キリスト教に改宗したため、のちに廃嫡される。

日比屋了珪

豪商で堺のキリシタン総代。

顕如

浄土真宗本願寺派のリーダー(法主)。のちに織田信長と対立することになる。

バルナべ

堺に住む日本人キリシタン

公方様・足利義輝

13代室町幕府将軍。
このころ、三管領のひとつ斯波家の屋敷(武衛陣)を将軍御所として使っていた。
1565年、対立する三好三人衆らによって暗殺される。

美作進士

足利義輝の義理の父。
進士晴舎にあたる人物か?
1565年、足利義輝とともに三好三人衆によって討たれる。

完訳・フロイス日本史はこちら

 『ルイス・フロイス戦国記 ジャパゥン』は、ルイス・フロイスが書いた『日本史』のエッセンスをぎゅっと詰めて書かかれています。

もし、完全日本語訳を読みたい方は、下記の本も参照してください。