戦国マニアの和歌山ブロガーきゃろたまです。
NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」ご覧になっていますか?
まずはまだ見たことがない、直虎って誰?という方のためにごく簡単に紹介します。
おんな城主直虎
時代は戦国時代まっただなか、下剋上に暗殺は当たり前の時代。西暦にすると1540年代以降のお話です。日本にキリスト教と鉄砲が伝来し、ちょうど織田信長が生まれて活躍する頃の話です。浜松市北区にある井伊谷(いいのや)を治めていた井伊一族。しかし東からは駿河(静岡県東部)を支配する戦国大名今川義元の攻勢により、井伊一族は今川家に服属することになります。直虎は女性でありながら井伊一族の長としてこれから様々な試練に立ち向かっていきます。
出家と還俗
第4話では、おとわちゃんの出家により、井伊家の本領が安堵されることになりました。
「出家」とは僧侶になって俗世から離れることをいいます。つまりおとわちゃんは井伊家をはじめすべての武家社会から関わりのない世界に放り出されることになるのです。
武家の男子の場合は無用な家督争いを避けるため、他家に養子に出されるか、出家させられて僧侶になりました。実は駿河の太守様である今川義元も五男であったため、幼い頃に出家させられて「梅岳承芳(ばいがくしょうほう)」と名乗っていました。
その逆に、僧侶から元の俗世に戻ることを「還俗」(げんぞく)といいます。僧になった梅岳承芳でしたが、同腹の上の兄が二人とも亡くなってしまい、異母兄の玄広恵探(げんこうえたん)と家督をめぐって争うことになりました(花倉の乱)。
出家して俗世から離れるといっても、世間から隔絶して修行に励むというものでもなく、 武田晴信は出家して「信玄」と名前を変えて以後も政務にたずさわっていましたし、黒田官兵衛は朝鮮攻めの失敗を咎められたため1593年に出家しています。ですので本格的に仏門に入るというよりは政治的なアピールに使われることも大いにありました。
ドラマでおとわちゃんのお父さんが言っていたように「ほとぼりが冷めたら還俗を」して俗世に復帰することもできたのです。
僧侶の役割
さて、現在では「僧侶」といえば、お葬式や法事の際に読経してもらうといった宗教的な意味合いが強くなりましたが、戦国時代のお寺は、信仰の対象としてはもちろん、行き場のない人が身を寄せたり、土地の人にお金を貸したりするなどひとびとの生活に深く関わっていました。また武力を持つ寺院もあり、紀伊(和歌山県)根来寺は豊富な財力をもとに鉄砲の製造にも関わるようになりました。
僧侶は領主(お館様)へのアドバイザーとしても活躍します。
おんな城主直虎で登場する南渓和尚は井伊家の知恵袋として井伊家を支えましたし、太原雪斎は今川家の軍師として、昨年の大河ドラマ「真田丸」では北条家に仕えていた板部岡江雪斎も当主氏政を支える役割をしていました。
キリスト教の宣教師ルイスフロイスが書いた『日本覚書』には、「日本の殿は、仏僧を戦争の使者、また武略として用いる」(中公新書707『フロイスの日本覚書』p90より引用)とあることから、合戦の際に相手方への使者として赴くこともありました。
さいごに
現代とは少し役割が異なる僧侶と出家、還俗お分かりいただけましたでしょうか。鎌倉時代から室町幕府滅亡までの時代区分を「中世」と位置づけられています。この時代は少しわかりにくいところも多々ありますが、これからもできるだけわかりやすく解説していきたいと思います。
第4回の終わりが1554年ですから、桶狭間の合戦まであと6年。 次回は今川家の敵・織田家について解説していきます。