きゃろたんぬの小窓

40代から楽しく生きる!

おにぎり味噌汁ランチパーティーと京都街散歩

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京都へ行くと、つい、長居してしまう。

 

ひとつひとつ通りに名前が付いていて、通りの名前を確認しながら歩いていくのも楽しいし、自転車1台がやっと通れるくらいの路地の奥に、何があるのか覗いてみるのもまた楽しい。

 

2018年3月15日、元ちゅうつね関西メンバーとランチ会したあと、京都市役所駅から洋菓子店「村上開新堂」へ、そして京都市役所から河原町まで歩くことにしてみた。

 

 

ほり米とかじまゆ味噌汁のランチパーティー


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ランチ会の会場は、JR二条駅から御池通りを東へ約600m歩いてちょっと細い路地を入ったところにある「Open Kitchen Ipe」

アンティークな家具と広々としたキッチン、素敵すぎる。

 

福知山のほり農園で収穫されたお米でおにぎりをつくり、味噌汁研究家かじまゆこさんの指導で味噌汁作り。

 

空いた時間を見計らって、味噌も作った。

 

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材料は、大豆を1日水に浸したもの、米こうじ、塩の3種類のみ。 

ジップロックに入れられた大豆を手でつぶしていくのだが、これが意外とつぶれない。

親指と人差し指の腹を使ってつぶす。豆がするりと逃げていく。

 

大豆と格闘すること10分、ようやく原型がなくなって、ペースト状になった。 

ボールにペースト状の大豆を移し、米こうじと塩を混ぜ混ぜ。

 

大豆と米こうじと塩、三位一体に混ざりあったこの物体…ちょっとつまみ食いしてみたら、このままごはんのお供になるくらい、おいしかった。

 

さいごは三位一体の物体を、タッパーウェアに空気が入らないように味噌を敷き詰める。 


完成後は1年後。
出来上がりを楽しみにしているが、カビを生やさないかだけすごく心配。

 

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おにぎりはラップで包んでにぎるよりも、小さなお椀にご飯を入れて、それをプリンのようにお皿にひっくり返して粗熱を取ってからにぎる方が、おいしくできあがると。

 

たしかに、ラップで熱々ご飯を包むと、水滴がラップにまとわりついて、べちょっと水っぽくなってしまう。

 

おにぎりと味噌汁、そして執筆の合間をぬって作ってくれた高野豆腐、コーヒーミルで挽いた浅煎りコーヒー。おいしかった、ありがとうね。

 

ちょっと小粋なカフェでご飯をするのも楽しいが、みんなで材料を持ち寄って雑談しながらつくるランチもまた楽しい。

 

三条会商店街・プレマルシェ・ジェラテリアでオーガニックのジェラートを食す

 

 

午後2時。この日の京都の最高気温は、22℃。
今日は春の陽気にしては、暑すぎるくらい。

Open Kitchen Ipe をあとにし、かじさん行きつけのジェラート屋さんへ。 

 

京都で一番有名な市場といえば「錦市場」だが、もう古き良き時代の京都を感じる要素が少ないと感じるようになった。

 

この日訪れた三条会商店街は、観光地化という垢に塗れず、昔ながらの佇まいと、新しいお店がほどよく混ざり合っていて、なんとも居心地がよかった。

 

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京都の食材を使ったジェラートは、ほどよく口の中にその素材を感じさせるやさしい味がした。

 

クッキー缶の予約は4か月待ち!明治40年創業の洋菓子店「村上開新堂」へ


ここでメンバーと解散。


京都市役所前駅から北へ 約600m、徒歩10分のところに「村上開進堂」がある。


クッキーはすでに予約でいっぱいで、今注文しても届くのは7月ごろになると。

なんと4か月待ちだ。

 

「缶がダメなら、バラ売りがあるんじゃないの?」

 

という淡い期待も裏切られ、ようやく単品バラ売りされていた「ロシアケーキ」をゲット。

 

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ケーキというより、クッキーのやわらかい版。

お茶うけに最高の逸品。

 

京都市役所から寺町通りを歩く


御池通りをわたって数分のところにある本能寺。

本能寺といえば、戦国最大のミステリー「本能寺の変」で有名なお寺だ。


しかしこの本能寺は、のちに移転してきたもので、織田信長が明智光秀によって討たれたあの本能寺は、油小路通りと蛸薬師通りが交差する周辺にあったとされている。

 

そういえば、小学校の修学旅行で宿泊したのが「本能寺会館」というところで、窓から見える京都市役所のシルエットが不気味にたたずんでいて、市役所の上に人がいると、にわか怪談話ができあがっていたのを思い出した。

 

 

三条通りから木屋町通りへ。

 

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鴨川と並行して流れる高瀬川は、江戸時代に角倉了以によって運河として整備された。

 

それより以前、三条・四条界隈は刑場として、歴史上の名だたる人たちが、時の為政者の命令で首を切られたなんとも血腥いところだ。

 

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三条通りから少し木屋町通りを入ったところにある「瑞泉寺」。
ここは、豊臣秀吉の甥・秀次とその一族の菩提を弔うために建てられたお寺。

 

秀吉に世継ぎが生まれたため、跡を継ぐはずであった関白秀次は、次第に心が荒れて乱行が目立つようになったというのは表向きの話。

 

のちに秀次は高野山に蟄居を命じられ、1595 年に高野山で切腹をした。

その後処罰は妻子にも及び、女子ども容赦なくここ三条河原で処刑され、この地付近に埋葬されたが、次第に荒れ果ててしまった。

 

木屋町の名前は、江戸時代、大坂や伏見から運ばれた木材を取り扱う材木商が軒を連ねるたことに由来する。

 

瑞泉寺からほど近いところに、坂本龍馬が京都滞在中身を寄せた材木商「酢屋」がある。

さらに南に下ると、彦根藩邸跡、土佐藩邸跡の碑がある。

 

石碑一本にひかれてふらふらと歩いていると、すっかり夜のとばりが降りてきた。